親の介護が嫌だと感じるのはなぜ?6つの「重さ」で分かる本当の理由

今は、考えたくない

介護って重労働で大変そう。
認知症になったら施設に入ってもらうしかないし、自分が面倒を見るなんて無理。
介護に自分の時間も気力も奪われたくない。

娘

でも、そんなふうに考える私は、冷たい子どもなのかな。

この気持ちを誰にも言えないまま、モヤモヤを抱えていませんか?
そして、その状態で行動していないことに、どこか焦りや不安を感じていないでしょうか。

そのモヤモヤを整理しないままでいると、
いざというときに、「仕方ないから」と流れで介護を引き受け、
限界が来てから、後悔や自己嫌悪に押しつぶされてしまうことがあります。

ケアマネ
ケアマネ

でもそれは、あなたの性格や覚悟が足りないからではありません。

私は2009年から介護の現場で働き、
介護福祉士・社会福祉士・ケアマネジャーとして、今も介護する家族と向き合い続けています。
また、2児を育てながら働く母でもあります。

これまで、「親の介護をしたくない」と言葉にできないまま、
きょうだい間で押し付け合ったり、
一人で抱え込み、心身ともに限界を迎えるご家族を数えきれないほど見てきました。

この記事は、介護が嫌だと感じているあなたの「引っかかり」を言葉にするためのものです。
「私は今、ここが一番しんどい」と表現できるようになることが目的です。

自己理解が進むと、介護が始まる前段階で、
「自分が親の介護を背負わない」人生設計を考えることができます。

記事を読み終えるころには――
・自分の関わり方を切り分け、「やれること/やれないこと」を判断できる
・嫌だという感情を言葉にし、家族や専門職と交渉できる
・自分にとって超えたくない“境界線”が見えてくる
・親や周囲の「大丈夫」に惑わされず、危険を察知できる
・制度や専門職を「使われる側」ではなく、主体的に選べる

そんな状態を目指します。


「介護が嫌」という気持ちは、一言で説明できない

「介護が嫌」という気持ちは、ひとつの感情で片づけられるものではありません。

「私が冷たい子どもだから」
「私に、介護する覚悟が足りないから」

そう思って自分を責めてしまう人は多いですが、それだけで片づけられるものではないです。

介護が重く感じる背景には、いくつもの負担が重なり合っています。

🔹 この章でやること

  • 「介護が嫌」という気持ちを、感情論ではなく、負担の種類という“構造”で整理します
  • 全部当てはまらなくてOK
  • 複数当てはまっても、異常ではありません

6つの構造のうち、
「自分はどこが一番しんどいのか」が見えてくると、
「なぜ介護が嫌なのか」を言葉にできるようになります。

※ これは、「介護をする/しない」を決めるための診断ではありません。
今のあなたの負担を整理するためのものです。

整理できると、
家族や専門職に「何がしんどいのか」を具体的に伝えられるようになります。

次の章では、介護が重く感じる理由を6つの構造に分けて見ていきます。
読みながら、「これは自分かもしれない」と感じたところに
印をつけるつもりで読んでみてください。


構造① 時間を奪われる不安

介護が嫌だと感じる背景に、
「自分の時間が奪われるかもしれない」という不安
があります。

介護が始まると、「自分がやらなきゃ」という義務感に追われ、
人生の主導権を失ってしまうのではないか——
そんな感覚に襲われることがあります。

多くの場合、嫌なのは介護そのものではありません。

「自分の時間が、自分のものじゃなくなる感覚」
その不安が、介護への強い拒否反応を生みます。


🔹 こんな感覚はありませんか?

  • 予定が立てられないことに強いストレスを感じる
    「今度の連休、旅行に行きたいな。
    でも、先週母が転倒したと聞いたから、様子をみにいったほうがいいのかな」
  • 呼ばれたら断れない前提がつらい
    「また母が転倒したって連絡を受けたら、私が駆け付けないといけないよね」
  • 自分の生活が“仮置き”になる感覚がある
    「介護のことで頭がいっぱいで、家事も仕事も、趣味も後回しになってしまう」

ケアマネ
ケアマネ

これは、あなたが時間管理が下手だからでも、冷たいからでもありません。

「自分の人生が後回しになるかもしれない」
その不安は、あなた自身を守ろうとしている反応
です。

構造② 境界線がなくなる怖さ

ここでいう「境界線」とは、
「これは私がやること」「ここから先は私の役割ではない」
その線引きのことです。

介護が嫌だと感じる背景に、
「役割に終わりが見えない」という不安
があります。

親の介護では、親子という関係の中で立場が逆転するとともに、
「いつまで」「どこまで」という区切りが曖昧になりがちです。

その結果、介護が長期化するほど、
責任だけが積み重なっていく感覚に襲われます。

多くの場合、しんどいのは介護そのものではありません。

「自分人生が”止まったまま”、再開できない感覚」
それが、介護への拒否感につながっています。


🔹 こんな感覚はありませんか?

  • どこまでやればいいか、分からなくなる
    「今は何とか私が対応できているけど、これって、いつまで続くの?
    ずっと仕事を休まないといけないのかな……」
  • やっても”正解”や評価基準がない
    「親に拒否されたり、怒られたりするのがつらい。
    でも、誰かに『これでいいよ』と言ってもらえるわけでもない」
  • 断ろうとすると、強い罪悪感が残る
    「普通、親の面倒は子どもがみるべきだよね。
    親も、親戚も、そして自分自身も、そう思っている気がする。
    断ったら、私は親不孝な子どもなのかな……」

ケアマネ
ケアマネ

あなたがここまで追い込まれてしまうのは、
介護の作業量が多いからだけではありません。

「自分の人生が中断されたまま、いつ回復できるのか分からない」
その状態に耐え続けることが、何よりも負担なのです。


構造③ お金の不安と判断基準がないストレス

介護が嫌だと感じる背景に、
「お金に関する判断を、ひとりで背負わされる不安」
があります。

介護には、
毎月のサービス費用、突発的な出費、将来の見通しなど、
お金の話が必ずついてきます。

しかも多くの場合、「これが正解」と言える基準はありません。

その結果、
支払う/支払わない
今使う/後に残す
といった判断を、何度も迫られます。

多くの場合、しんどいのは金額そのものではありません。

「正解が分からないまま、責任だけを引き受け続ける感覚」
それが、介護への強い抵抗感につながっています。


🔹 こんな感覚はありませんか?

  • いくらかかるのか、先が見えない
    「介護に毎月いくらかかるんだろう。
    人によって違うのは分かるけど、自分の親の場合は今いくら?
    その支払い、いつまで続く? 貯金は足りる……?」
  • 「出す/出さない」の判断を、自分が背負っている
    「親は介護費用を自分で払えるの?
    払えないなら、私が出すしかない?
    もしお金出せなかったら、自分が介護するしかなくなるのかな……」
  • 親も子も「使いたくない」で止まってしまう
    「親も、先のことを考えると今は使いたくない。
    私も、自分の人生のために、できるだけお金は残しておきたい」

ケアマネ
ケアマネ

この感覚は、あなたがケチだからとか、優柔不断だからという問題ではありません。

自治体の助成制度、介護保険、
自費サービス、ネット上の断片的な情報……。

選択肢は多いのに、
「この選択でいい」と言い切れる材料がありません。

その状態で、毎月の支払い判断を繰り返すことが、
少しずつ精神的な疲労を積み重ねていきます。

「決められない状態」そのものが、大きな負担になっているのです。


構造④ 感情の負担、気持ちを抑え続けるストレス

介護が嫌だと感じる背景に、
自分の感情を後回しにし、親や周囲の気持ちを受け止め続けなければならない負担があります。

介護は、身体的な世話だけではありません。
親の不安、怒り、期待、寂しさといった感情に向き合い、
ときにはぶつけられ、それでも関係を壊さないように振る舞う必要があります。

親子であるがゆえに、
「やって当たり前」
「断るなんて冷たい」
という空気が、親・周囲・自分自身の中に生まれやすく、
自分の本音を抑え込んでしまうケースは少なくありません。


🔹 こんな感覚はありませんか?

  • 親の不安や怒りを向けられてしまう
    「親から『あなたしかいない』と繰り返し言われる。
    昔の不満や、今の不安をぶつけられても拒否できない。
    認知症や高齢の影響だと分かっていても、暴言を受けると心が削られる。」
  • きょうだい・親族間の板挟みになる
    「長女だから当然?
    嫁だから?
    当然のように役割を押し付けられて、誰も私の気持ちを聞いてくれない」
  • 気力が削られていく
    「義務感で動き続け、心も体も休めない。
    つい親に強く当たってしまったあと、強い罪悪感に襲われる。
    介護以外のことを考える余裕がなくなってきた。」

ケアマネ
ケアマネ

あなたの感じるストレスは、覚悟や忍耐が足りないという、根性論の問題ではありません。

家族関係を壊さないよう感情を調整し、
自分の本音を抑え続ける状態が日常化する。

成果が見えにくく、感謝も評価もされにくいため、
「何もしていないように見えるのに、限界が近い」
という消耗が積み重なっていく。

この見えにくい感情の消耗こそが、
介護を「嫌だ」と感じさせる大きな要因のひとつです。


構造⑤ 役割が自分に集中する構造|断れない前提へ違和感

介護が嫌だと感じる背景に、
「いつの間にか、自分がやる人になっている」ことへの違和感があります。

誰かが正式に決めたわけではないのに、
気づけば連絡は自分に来る。
話し合いをした覚えはないのに、
「あなたがやる前提」で物事が進んでいく。

それが続くことで、
役割が固定され、断る余地がなくなっていきます。

それは、嫌なのは介護そのものではなく、
「選んだ覚えのない役割を背負わされている感覚」だからです。


🔹 こんな感覚はありませんか?

  • いつの間にか窓口が自分になっている
    「病院からの連絡も、ケアマネからの電話も全部私。
    最初はたまたまだったのに、もう私が担当みたいになっている」
  • きょうだいは“手伝う側”、自分は“やる側”
    「『何かあったら言って』とは言われるけど、判断も調整も、結局動くのは私。
    お願いする立場になっているのがつらい」
  • 断ると空気が悪くなりそうで言えない
    「私が無理って言ったら、この話どうなるんだろう。
    誰も代わりはいないよね…と思うと、言い出せない」
  • 最初に引き受けたことが、ずっと続く前提になる
    「一度やっただけなのに、『前もやってたよね』で、
    次も当然のように私になる」

ケアマネ
ケアマネ

あなたがしんどくなってしまうのは、
責任感が強いからでも、冷たい人間だからでもありません。

「断ってもいい余白」がないまま、役割だけが積み重なっていく構造が、
あなたを追い込んでいるのです。


構造⑥「いい子役」から降りられない怖さ

介護が嫌だと感じる背景に、
「また自分が我慢する役になるのではないか」という予感があります。

これまでの人生で、
・空気を読んできた
・波風を立てない役回りだった
・期待に応える側に回ってきた

そんな人ほど、介護の場面で
無意識のうちに、同じ立場に配置されることが多いです。

それは、嫌なのは介護ではなく、
「これからも、ずっと我慢する側で生きる未来が見えてしまうこと」です。


🔹 こんな感覚はありませんか

  • 小さい頃から、頼られる側だった
    「親の愚痴を聞くのはいつも私。
    きょうだいの中でも、“しっかりしている”って言われてきた」
  • 断ると、がっかりされるのが怖い
    「嫌だと言ったら、『あなたならやってくれると思ってた』
    そんな空気になるのが想像できてしまう」
  • 自分の本音より、場の空気を優先してしまう
    「本当は限界なのに、
    これ以上こじれるくらいなら…と飲み込んでしまう」
  • 介護でも同じ役を求められている気がする
    「話し合いの場で、結局まとめ役も調整役も私。
    “あなたがいれば大丈夫”と言われるのが、苦しい」

ケアマネ
ケアマネ

こんなふうに思ってしまう自分を、責める必要はありません。

人は、この先もずっと我慢する未来が見えてしまった瞬間、
本能的に強い拒否反応を示します。

それは冷たさでも、逃げでもありません。
これ以上、自分をすり減らさないための防衛反応です。


この6つの構造を知ることは、
介護を頑張れるようになるためではありません。

「どこから先は引き受けないか」を決めるための材料です。

あなたはどこで引っかかっていましたか?

次は、この構造を知った上で、
介護が始まる前にできる、現実的な一歩を整理していきましょう。


自己理解の先にあるもの

6つの構造から自己理解を進めていくと、
その先には、介護を「引き受けない」ための最初の一歩があります。


「嫌だ」を、交渉できる言葉に変えられる

自己理解が進むと、「嫌だ」という感情が、
そのまま感情で終わらなくなります。

モヤモヤした感情

しんどさの構造が見える

説明できる言葉になる

家族(親・兄弟)・専門職と話せる

👉
説明できる=交渉できる。


“越えてはいけない線”が、自然と見えてくる

【自己理解がないと】
「私がやらなきゃいけない?」
「断るとまずい雰囲気?」
→ そのまま引き受けることになる

【自己理解が進み、構造が見えていると】
「これは将来しんどくなる」
「ここは線を引く」
→ 今のうちに調整でき

境界線は無理矢理引くものではありません。

👉
気づいた時点で、自然に浮かび上がってくるものです。


【たとえば──私の介護の関わり方】

▶ やれないこと
・24時間拘束
・感情の受け皿
・断れない前提の役割

▶ やれること
・連絡調整
・情報収集
・短時間の関与

こうして整理できると、
自分専用の「介護の取扱説明書」ができあがります。


「まだ大丈夫」に、振り回されず、危険察知能力が上がる

【自己理解がないと】
「まだ平気」
「その時になったら考えよう」
→こんな言葉に流されてしまう

【自己理解が進み、構造が見えていると】
「これは将来、確実に自分が苦しくなる」
「ここは今のうちに避けたほうがいい」
→判断軸が変わる

👉
危機察知能力が上がります


制度や専門職を「使う側」になれる

【自己理解がないと】
「何を頼めばいいかわからない」
「丸投げするか、全部抱えるか」
→介護をやるか、やらないか、この二択になりがち

【自己理解が進み、構造が見えていると】
「これは外に任せたい」
「これは私がやる」
「ここは最初から関わらない」
→あなたが選択できるようになる

👉
制度や専門職を「使われる側」ではなく、主体的に選べる側になります。


まとめ|今すぐ答えを出さなくていい

自己理解は、スタート地点です。
実際の介護は、
「誰に・何を・どこまで任せるか」という具体的な判断の連続になります。

もしあなたが、

  • 介護を全部引き受けるつもりはない
  • でも、完全に放り出したいわけでもない
  • 自分の人生を守りながら、現実的な関わり方を考えたい

そう感じているなら、
一度、頭の中を整理する時間を持ってみてください。


介護を「やる/やらない」で考えないために

このブログでは、介護を頑張る方法ではなく、

  • 背負わないための考え方
  • 役割を固定しないための準備
  • 家族でも線を引くための言葉

をお伝えしています。

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今すぐ何かを決めなくて大丈夫です。
でも、
「まだ大丈夫」と思っている今こそ、
一番選択肢が多いタイミングでもあります。

あなたが介護を引き受ける前に、
人生を壊さない選び方を、一緒に考えていきましょう。


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